私的、始まりの藍那から現在の藍那

六年前
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現在
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僕が藍那へ初めて行ったのは、6年くらい前。北海道で一年過ごし、実家に帰っていたときだった。
それまで国内外と自分の内面をうろうろ漂い、常にここではないどこか、こうではない在り方を求め彷徨っていた。アメリカ・アリゾナへは、ネイティブアメリカンのもっていた精神性と社会の在り方が総体的な意味で調和に満ちていたから、それに続き北海道へアイヌのもつそれと手つかずの自然を求めて。北海道の旅の途中でインスパイアされたのは、自分の暮らす場所と在り方を自分の手で創っていくということが可能なんだということ。ここではないどこか、こうではない在り方というものを外のどこかに求めるのではなく、自分の手で、今ここから創っていくという在り方も許されるんだ、ということ。
当時の僕は、現実の扉の向こうにある様な夢の中に立ち入り、実際に霧の向こうではあれ手探りでも自分の人生の中で答えのない夢に向かって一歩一歩、現実として歩いて行くことができるんだ、ということ。そう、答えはないほうがいい。何かしらの朧げな光があればそれで十分。だって、進む方向が見えたんだから。

藍那へ初めて行ったのは、そんななかでのこと。パーマカルチャーというのは本で見ただけだったがとても興味深く、藤野のPCCJを訪れようとしたが、事情が合わず諦め地元で働き始めた頃。パーマカルチャースクールはまだ関西にはなく、インターネットで引っかかったストローベイルハウスづくり等のイベントがこの藍那であり、毎月のように通っていた。その後、パーマカルチャー・プレスクールなるものが、藍那で行われると聞き、興味は十分あったので、参加することにした。
そんな流れで引き続き、デザインコース1期、デザインコース2期と藍那の実習地で計3年間、設楽さんとスクールの参加者の人々と共に時を過ごした。

今日、その藍那の前を通ることがあり、車を止め実習地まで歩いた。畑、ストローベイルハウスやコンポストトイレ等があったところは、大きな道路の舗装前の状態で砂利が敷きならされ地形は造成され大きく様変わりし、以前の状態の見る影もなかった。

工事が行われ、畑が無くなり、地形が変わっていることに対して残念ではある。ただ、僕がそこを再訪しようと思ったのは、その工事によって地形がどう変わり、クニの構想する里山公園がどんな様相を呈しているのか。行かずとも分かるインフラ整備を見学しようと思ったからではない。その場所に通っていた時、僕自身がどんなものに対して掻きむしりたい様なやるせなさをもち、そこから脱するために何を求め、あの所々、木々が生い茂る小道を進んでいたのか、それを思い出したくて。

そこへ通い始め、パーマカルチャー・スクールもプレスクールから数え5年目を終えようとしている。多かれ少なかれ、有り難くも、その全てに関わらせていただいている。
そして今、ただ僕はこう思う。
僕の理解するパーマカルチャーや関西においてのパーマカルチャー・スクールは藍那・苦楽園・淡河と時をへて場所は変わったが、藍那に通い始めた当初の思いと同様に、何も言葉としては明確でもないし説得力もないかもしれないが、新たに永続的な文化を再構築していこうとした時(大げさに聞こえる)。新しいことを始めるときに大切なのは、答えのあるものの中をいかに上手に進むかということではなく、答えが向こう側で朧げに漂っているものに対して、それを忘れず、足下の凸凹を踏みしめ、時には踏み外したとしても、相変わらずな歩調で進んでいけるかということ。

当時と同じ小道を辿って、その時の自分と今現在の自分の中にあるものが相変わらず、芯のところで同じだと感じ、ある意味 恥ずかしくもあり、ある意味 その名状し難いものを今後とも同じく大切にし続けていきたい、と勝手ながらに思っている。  (ken)
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by perculkansai_ougo | 2010-11-12 22:40 | Comments(0)

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by パーマカルチャー関西